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そこはかとなくマニアな日記 (遙かなる時空の中でファンサイト付属日記)
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相馬に行って参りました!
東北ということで冬物を持って行ったのですが、暖流の影響なのか意外と温暖。海の幸はとても新鮮で美味しく、松川浦という、砂州が防波堤となった自然の造形「海のそばのもう一つの海」はとても美しかったです。あいにくの雨も何のその、ガードレールもない道端からつま先を出せば触れられる静かな海と、まるで松島のような小さな奇岩島群に夢中になりました。
──私個人の旅行であれば、がっしがっし写真を撮ってきたところなんですけど。
あいにくとはしゃぎきれない義理がたくさんございましたので、感想のみ(^^;

相馬氏は、元を辿れば頼朝様と共に活躍した千葉常胤とその次男師常。一の谷の戦いでは二人とも範頼軍に従軍していたそうなので、遙か3フィルターをかければ、景時さんとご一緒だったかも知れませんv いや、その頃には常胤さん66歳、師常さん45歳なので、景時さんは扱いに苦慮したかも知れませんが(^^;
その後、相馬氏を名乗った師常さんから、数えて6代目が奥州に入って奥州の相馬氏となったそうです。

しかし福島県ひろい!!
県を縦断する二つの山地、奥羽山脈と阿武隈高地に分断されて、東から「会津」「中通り」「浜通り」と生活圏が分かれることも実感しました。
常磐線で海沿いの平地を北上して行ったところ、平地はひーろーい!し西の山は高い!
福島県の商圏中心地は郡山市や福島市のある「中通り」なのですが、相馬のある「浜通り」からそちらに行くにはすごい山越えが必要なのですよ。それならば、海沿いに仙台に出たほうが近い。もっと南なら、茨城も近い。船を出せば双方にもっと近い。
逆に言えば、「中通り」と「会津」は遠い。
これは……そちらが主戦場になった戊辰戦争からルートが外れるのも納得です。

もとより、ついでにお参りに行くのもよろしくないお話。
彼の地へ詣でるのはまた折を改めなければと、深く納得した次第です。
遙か5は来春ですから、それからでもいいですね。
どうしても新選組寄りになってしまう視野を少し広げてからでも……。

いやその視野狭窄は「薄桜鬼」のせいではなく。←大好きですがv
生まれが日野の近くなので、致し方ないのでござる///
育った家から副長の家までは自転車で行ける距離でござるよ///

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