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そこはかとなくマニアな日記 (遙かなる時空の中でファンサイト付属日記)
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第六回…というより、甲州勝沼の戦いに触れたので、ちょっと蛇足を///
wikiなどを見ても、新選組が破れたのは途中で豪遊していて進軍が遅く、新政府軍に先に甲府城へ入られてしまったから、という記述が多いんですけど。実際、新選組は故郷の日野を通っていて、そこで戦列に加わった人たちも居るので、どんちゃんとはいかずとも歓待されたとは思うのですが。

新選組が三月一日に江戸屯所(おそらく)を出たのに対し、
新政府軍はそれよりも二日前、二月二十九日に下諏訪(おそらく現在の下諏訪駅近辺。中山道と甲州街道の分岐があります)を出ているんです。
※旧暦慶応四年の二月は三十日までv

そして互いの出発地から甲府城まで、g○○gleのルートマップで徒歩ルートを検索してみると。

新選組江戸屯所と思われる現・三/菱銀行本店から甲府城までは130km。
下諏訪駅近辺からは、わずか68.8km。

更に、ジモティ(笑)として、両軍が行軍した甲州街道について言及すれば、江戸から甲府までは高尾山を越え→関東山地を越え→関東最大の難所のひとつ・笹子峠も超えなきゃならないのに対して、諏訪から甲府城へは、甲府盆地に出るまで長野県富士見あたりで山の中を通るけれども、他に目立った峠はないでござるよ。

──もともと倍近い距離があるうえに、難所も多く、それでいて二日も先行されたら、宴会云々置いておいてもフツーに間に合わないんじゃ???

幕府側でも新政府側でも、いろいろな立場でいろいろな見解がありエピソードが語られていますが、なんかこう…どちらも主観的に書かれているような気がします。
歴史って口承や記録から事実を探るしかないんだけど、どれが本当なのか、本当に分からない(笑)
それこそ柊に笑われそうだなぁ(^^;
遙か4で「規定伝承」が幾つもあるのには真剣にひっくりかえった。どれが本当なの!
でも、それこそが歴史なのよねぇ…。

志士の人となりや容貌についても、佐幕/倒幕/攘夷/開国etc、いろんな立場から述べられると、これって同じ人のことなの?ってほど違ったり(笑)。
遙か5のキャラクターがどんな人になるのか、楽しみですv

…って、登場人物コーナーが拡充されてるんですけど?!
http://www.gamecity.ne.jp/haruka5/
ちょっと見物してきます!!

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